Cafe de Viola ~カフェ ドゥ ヴィオラ~|由紀さおり・安田祥子 オフィシャルホームページ

カフェ ドゥ ヴィオラ

スポーツと音楽は国際語

今年のはじめあらためて「私の主人澤田久雄は本当にスポーツ好き音楽好き人間であったなあ。」と思うできごとがありました。
奇しくも 今年は主人が旅立って10年!コンサートが25年目!いろいろな事が一区切りをつける年なのかな?と思い、今回のカフェ・ド・ビオラは、とってもユニークな?主人の事を書いてみました。・・・エピソードがあまりにもたくさんあって、何からお話したらと迷いますが・・・。

まずは 主人と私との出会いから。主人がコーラスグループに入っていてそのグループの定期演奏会のソリストとして私が出演した時、指揮者の前田幸一郎先生(故人)から「彼は度々外国へ行くから欲しい楽譜があったら頼んだら?」と紹介されたのです。当時は外国版の楽譜は高いし船便では時間がかかるので、もう「渡りに船」で、すぐいくつかの楽譜を頼んでしまいました(笑)後から聞いた話では 私を紹介してほしいと前田先生に頼み、先生がそのきっかけを作って下さったのだそうです。 音楽が取り持つ出会いです。歌う事が大好きで12月のベートーベン「第九」は、あちこちのコーラスグループに潜り込んで、今年は3回歌ったとか5回とか・・・。自慢していました。

お願い事が続きおつきあいのようなものもに発展?2年後位に結婚致しました。   これも後から知ったことですが、主人は京都大学のアメリカンフットボール部の創設者で初代主将だったのです。

何にもない時代、当時駐屯していたアメリカ軍兵士ピンカーマンさんの大きな協力を得て、ルールを教えてもらい、ユニホームや防具も少しずつ揃っていったようです。 私の大好きな叔母樣から(満102歳で今もお元気!)今なら笑ってしまうけどなにもかにも初めてで、やせこけた学生さん達がドロンコになって走り回り、観客は義母と叔母さま二人なんて事もあり、霜のおりた寒いグランドで震えて応援させられた・・・。なんてお話も聞きました。

何年も経って京大アメフト部は日本一になるという偉業を達成しました。その頃はもう結婚していましたので二人で狂喜乱舞!甲子園はもちろん、国立ラクビー場にも出掛けていきました。京大カラーのグリーンのマフラーをして、ブーブー吹き鳴らす先のながぁ~いプラスティックの笛?(最近のサッカー試合で有名になりましたブブゼラです)をもって、鳴らしているのは主人だけでしたのでもう恥ずかしかったですよ!
フラミンゴで有名なサンデイエゴ動物園のある町にに住んでいたピンカーマンさんにも会いに行きました今年のはじめのできごと・・・それば京大のアメリカンフットボール部OBからの思いがけないお便りでした。主人がKenneth Rogerという人の作曲した外国のメロデイに「進撃の歌」という題で訳詩をつけ、フットボールの試合後やOB会の時に歌っていた歌があり、今の若いOB達にきちんと覚えてもらいたいので、私が歌うことでわかりやすくアドバイスしてもらえないかというお願いでした。もちろんアメフト部がまた日本一になってほしいという願いを込めて、私達姉妹のコンサートのピアニスト大杉さんに手伝っていただき録音をして届けました。主人は、歌う事が好きで、私が歌う事を喜んでくれておりました。

日本で初めて12月にヘンデルの「メサイヤ」を観客である皆様が楽譜を持参でコーラスをソリストはプロでという「シングインメサイヤ」をたちあげ、25年間続けることができました。
コーラス好きの仲間が集まり、オルバン教会にはじまって聖路加国際病院教会、神田教会、そして最後は聖路加で。ソプラノソロは25年間私が勤めました。1年の締めくくりそして声楽家として健康のバロメーター?にもなっていた「シングインメサイヤ」でした。その時に指揮をして下さった方やコーラス仲間が「シングイン」のスタイルを今も続けていて下さっているようです。  
image私は結婚してから、スキー、テニス、水泳等スポーツを楽しむ様になり、娘もスキーは1級、水泳は結構スパルタ式に仕込まれ泣きながら鳥取の海で泳いでいたのを思い出します。(笑)今は国連勤務でニューヨークに住み、オペラやミュージカルを楽しんでいるようです。  

どこの国へ行ってもスポーツと音楽は、言葉を越えて解り合える素晴らしい国際語だと主人はトレーニングも含め、たくさんの仲間を作って一緒に良く遊び、身をもって教えてくれました。アメフトでデイフェンダーとして活躍していた?ポーズを得意そうにとっている主人です(笑)

2011年 2月
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