Cafe de Viola ~カフェ ドゥ ヴィオラ~|由紀さおり・安田祥子 オフィシャルホームページ

カフェ ドゥ ヴィオラ

0歳から25歳までの私 (3)

ひばり児童合唱団も最上級になり、子供の声から大人の声への変わり目は何となく感じていました。男の子は一晩でコロっと声変わりするのでびっくり。マンションのお隣に住んでいた娘と同い年の男の子に朝「ヤコちゃんのおばさんおはようございます!」とすごい低い声で声をかけられ、思わず笑ってしまいました。

私は皆川先生からのアドバイスで三枝喜美子先生の所へレッスンにいくことになります。
声も響かせやすく複式呼吸の練習は新鮮で楽しいレッスンでした。音大受験にはピアノの試験があるのでこれが困りました。今のお子さんは生まれた時にピアノやギター等、何か楽器のある家が多いですが、私の時代にはテレビも楽器も何もない時代です!

高校2年生位の頃でしたか、当時本当に贅沢品だった中古のアップライトピアノを父と母は私のために購入してくれました。歌の受験課題曲の他にピアノの課題曲も、さらにスケールといって全ての調(長調、短調)を試験場で指定された調で2度繰り返すという課題をクリアしなければなりません私にとってこれが頭痛の種でした。
わが家にきたピアノは兄が一番楽しみに弾いていました(笑)

理科系の兄は音の積み重ね?が楽しく、おもしろかったようで全くの独学でいろんなジャンルの曲を譜面なしで弾く事ができるようになりました。兄は留学した時に言葉が通じなくてもピアノを弾く事でコミュニケーションがとれたとよく言っています。シャンソンの「枯れ葉」が得意でした。

当時の芸大受験は第5次試験まであり(今は3次試験までと聞いていますが…)歌が3回
その度に人数が減っていきます。そして4次がピアノ、最後の5次が学科となっていました。1年目私は歌の3次試験で不合格、あ?浪人?ということに…。でも 受験のためにお世話になった母方の親戚に芸大と国立(くにたち)音大の教授をしていらした矢田部勁吉先生が国立音大に入って勉強し、再度芸大をトライしたらというアドバイスを下さいました。クラシック音楽に囲まれた新しい音楽の環境の中で毎日きちんと生活し勉強することが私には必要な事でした。
image1年間国立音大で学び翌年東京芸術大学へ。童謡歌手の安田祥子が芸大合格!先生から「良くも悪くも注目されているからしっかり頑張らないと!」と言われ緊張の毎日でした。(当時は8浪なんていう受験生もいておじさんおばさんがいっぱいいました 笑)
上野駅から学校へ向かう途中上野公園の噴水の前で、手芸好きの私が製作したハーフクロスステッチのスミレのバックを持ってパチリ!

音楽専門学校ですからもうみんなライバル!めざすところは皆同じ!1年2年はわいわい過ごしていましたが 3年、4年になると年度末行事のメサイヤ、第9のソロをとるオーデイション、卒業演奏会、新人演奏会等。演奏家としてのハードルを超えなければいけない壁がたちはだかっていました…甘い恋のお話ですか?

ジンクスがあって美術学部生と音楽学部生又同じ学部同士の中でも1年と2年の時にカップルが誕生すれば、結婚へというコースもあるけれど、3年4年になったら成就しない!プロとして厳しい道があるために卒業近くなるとライバル意識がさらに強くなり、自分の事でいっぱいいっぱいになってしまうのですね。そんなわけで、私の甘いお話は全然なし
ただただまじめな音大生でした。本当ですよ!(笑) 
image3年生の頃だったかTBS 事業部でアルバイトをさせてもらいました。童謡歌手時代にかわいがって下さった方がいて母も公認で「宛名書き」「ビラくばり?」そして大晦日から新年にかけて明治神宮初詣実況放送のお手伝い等楽しい思い出です。

着物姿の写真はお正月出社したときの物です。4年生になってメサイヤのオーデイションは、当日お腹を壊してしまってヘロヘロ。当然不合格(苦笑)。でも卒業演奏、新人演奏会には出る事が決まりほっとしました。
そして 前年度に大学院が創設され進学。修士課程へ。今は博士課程もあります。
その後助手、講師と芸大との関わりは長くなりました。国立(こくりつ)ということで学生も先生も定員数が少なく、学内オペラの定期公演には学生だけではなく講師も参加しての公演なので、数多くのオペラを体験できたのはラッキーでした。
image私のオペラデビューはモーツアルト「フィガロの結婚」スザンナ役。コケッテイッシュな小間使い(御嬢様の身の回りのお手伝いをする人ですね)当たり役と言われました。

私の声のキャラクターはモーツアルト(好きな作品もやっぱりモーツアルトです)。当時は声をかけていただいた時には何でも歌っておきたい、歌わねばという(チャンスも少なかったので)事で色々な作曲家のオペラに出演しました。 

舞台写真は日生劇場でドイツオペラ、ワーグナー「タンホイザー」初演のもので私は「牧童」役。舞台には5分程私一人という得な役で出演しました(笑)
クラシック界に新人としてデビュー!この時 安田祥子25歳でした。  

2011年 1月
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